イカしたロックンロールをキメて口頭試問のセンセたちをブッとばし、ようやくハカセ課程修了が決まった時ほどうれしかったことはない。学位記をカラーコピーして机の引き出しに忍ばせておき、時々取り出して眺めてみてはニヤニヤしていたものである。しかし、ハカセになったと言っても、次の日の朝から黒塗りの高級車が礼儀正しい初老の運転手付で迎えに来るわけでも、街中で見知らぬ人が大勢寄ってきてサインを求められるわけでもない。強いて言えば、三十過ぎのいい年こいた大きなおともだちが、学籍を喪失して社会に放り出されたというだけのことである。新米ハカセの多くは、夢のような至福の初七日を過ごした後、映画館での学生料金、新幹線の学割、奨学金の返済猶予等、これまで長年当然のように享受してきた数々の特権を一夜にして全て失なうという、その信じ難い厳然とした事実の前に為す術もなく立ち尽くすのみとなるのである。
ハカセとなった以上、やはり誰でもまずは大学や研究所等での研究職(アカポス)を目指すと思われる。早速私も取り立てほやほやのハカセ号を紅白に染め抜いた旗印を押し立て、「研究者人材データベース」(JREC-IN)掲載の挑戦状一覧をチェックしつつ、新参の大学教員公募戦士として岩をも砕かんばかりの大音量で名乗りを上げた。しかしどうやらお昼休みのタイミングだったのがよくなかったのか、その後手元に届くのはいわゆる「ますます通知」というやつで、「今後の貴殿のますますのご活躍をお祈りします」と少しだけ持ち上げておいて当方との一騎打ちは断わってくるという、情けないめそめそした野郎からの書簡ばかりだったのである。昨今は高学歴ワーキングプアやいわゆる野良ハカセの多さ、大学における非常勤講師の酷使等が社会問題と認知されつつあるように、ハカセ課程でロックンロールをキメてすぐにアカポスをゲットすることはなかなか難しい。理系の方がハカセの割合が多いので話題になりやすいが、文系も全く同じである。しかも文系、特に人文科学系は、標準修業年限の3年間でロックンロールをキメるのは(分野にもよるが)至難の業であり、キメた時には既に三十路入りしている場合が多いため、就職問題はより深刻なのである。今はやや緩和されたようだが、当時の日本学術振興会特別研究員(学振)PDの年齢制限には怒り(というより焦り)を覚えたものである。
兄弟子や同期たちも、非常勤講師や特任研究員といった任期付や無給のポストで何年もがんばっている人が多い。その中には、初めこそ田舎の高専や短大に専任講師としてお世話になったが、実績を増やして数年後に国立大准教授に昇進転出シェキナベイベーした兄弟子がいた。私と近い流派で、ナウいロックンロールをキメた後そのまま旧帝大にシェキナベイベーした同期生もいる。それらの事例を励みにしつつも、公募戦線の中で多くの「ますます通知」を受け取れば、自分が本当にアカポスに向いているのかと疑心暗鬼になってくる。他方で、一門総稽古などで自分のワザが評価されたような時は強いやり甲斐を感じ、自信を深める場面もある。そのように様々な振幅のある中で自分のワザが洗練されてはいくが、同時に年齢も否応なく上がっていく。結婚や出産を経験するかもしれない。しかしこの戦線には、既に人生が懸かっているのである。自己嫌悪になろうが傷つき倒れようが、再度起き上がり軟膏でも塗って前に進むしかない。ワザを磨き手持ちの巻物を増やし、業績を残していくことしか選択肢はないのである。これは将棋の三段リーグや大相撲の幕下上位と同じで、客観的に見れば狭き門のプロテストに候補者がひしめき合って鎬を削っているという構図であろう。私もこの公募戦線に残り、いつの日かまだ見ぬグレイトな大学に必ずシェキナベイベーすることを夢見て走り続けようと考えていた。

今思えば転機は、サビがやっとのことで投稿論文として学会誌に掲載され、イカしたロックンロールになりそうだとビンビン感じた年だったかもしれない。この時近々ロックンロールをキメる見込みとして学振PDに魂のラブレターを送りつけるも、あえなくハートブレイク。見込みでは気持ちが通じないなんて冷めたハートもあったもんだ。そこでとりあえずエサを食い繋ぐために就職情報を幅広く見るようにしていたところ、政府機関で自分のワザに近い分野での調査を行なう任期付委嘱職員の募集を見つけた。道場の兄弟子にもこの委嘱職員経験者が何人かいたことから、とりあえず応募はすることにした。まあいろいろあるけど宮仕えとはいえ待遇はなかなかよくエサがうまいと聞いていたことも、日々の食事に事欠く貧乏侍の背中を押したと思う。「ますます通知」かと思ったら、この時は意外にするするとナイスフィーリング通知を受け取った。しかし兼業は不可であるとされていため、恩師の紹介で得ていた近隣大学の非常勤講師ポストとグッバイするのがさすがにためらわれて、即答はできなかった。しかし背に腹は代えられない。うまいエサも食いたい。迷った末に道場の親方とも相談して恩師に仁義を切り、この話を受けることにした。非常勤講師の後釜探しも手伝い、私よりも戦闘経験豊富な豪傑が見つかった。
この委嘱職員の仕事が、私にとって初めての実務経験となった。社会人経験と言ってもいいかもしれない。これまでの職歴は高校や大学の非常勤講師のみで、はっきり言えば職場ではお客さま扱いをされていただけである。委嘱職員は専任ではないので実はお客さま扱いであることに変わりはないのだが、常勤であるから組織の業務に関わる深さは非常勤とは比べ物にならない。アカポスではないが、敵に不足なし。見よハカセ(見込み)ここにありと叫びつつ、新天地で入魂のフィーバーをキメるべく着任した私を待っていたのは、何とも平和な組織の日常業務であった。君のワザを使った資料作成もやってつかあさいと言われたが、どうやら日常業務の方が圧倒的に多いっぽい。兄弟子の言っていた「まあいろいろある」とはこのことかと合点がいった。
(続く)
2014年2月3日月曜日
国家公務員行政職と博士号
登録:
コメント (Atom)
また来いよ。じゃあな。