委嘱職員の任期は2年間である。委嘱職員は前任後任の任期が重ならないため、引継ぎ事項も前任の残したメモが少しある程度で、上司からも後は前任の作成した書類を見てくれと言われて特に指導めいたことはなかった。学生上がりなので最初は決裁のシステムもわからず、どうして上司や先輩が自分で作った書類を新人で下っ端の私の所に最初に持って来て見せてくれるのだろうと不思議に思ったものである。決裁書には私の名前が書いてある欄があるので、隣の人にこれは何ですかと聞くと、名前の横にサインをして次に回せとのこと。いろんな書類が回ってくるのでどんどんサインして次に回していたら、だんだん慣れてサインが上手くなってきた。これはいいぞと思ってこっそり喜んでいると、中の文章もしっかり見てくれなくては困ると言われて驚いた。気づいた間違いは直さなくてはならないこと、決裁は下から上に行くので、まず私の所に来るということもわかった。最初の1か月はこんな感じだったから、全く戦力にはなっていなかったと思う。
しばらくすると、自分で決裁書を作成する機会も増えてきた。そこで私をいらいらさせたのが、またこの決裁というシステムである。私が推敲に推敲を重ねて書き上げた渾身の名文に、どこからともなくおかしな修正が入るのである。明らかな間違いの訂正なら有難いが、送り仮名や句読点等、個人の趣味の問題としか思えない変更や、修正に修正が重なって、整理して書き直してみると意味が通らない文章になっていたり、さらには書き加えた人の字が汚くて読めないということもよくあった。書いた人が幹部だと気軽に「これなんて字ですか」とも聞けないので、読めない場合は近くの同僚と判読会議を開催することになる。「君でも読めねーなら本人に聞きに行くべ」という人が増えて、いつの間にか私は執務室の判読大臣になっていた。
これまでは予備校や高校で生徒の作文や小論文を添削をする立場だったので、自分の文章に手が入るということはまずなかった。入るとすれば、投稿した論文の査読者が用語の使い方や章立てについてコメントをくれる場合であったが、直接原稿に手を入れるやり方ではなく、あくまで指摘であった。ところが、決裁では遠慮なく赤が入るので、私としては受け入れ難かったのである。このシステムに慣れるのは時間がかかったが、そのきっかけとなったのは決裁後に組織から発出される文書に記載されている責任者の名前に気づいたことだった。その名前は当然のことながら我が組織の長であり、長の不在時は丁寧に次席の名前に変更されていた(さらに丁寧なことに、長も次席も不在の時は三席の名前になっていた)。私は起案者であるが、文責者ではないということを思い知らされた瞬間である。当該文書に問題があれば、その責は起案者ではなく決裁権者が負うのであるから、文書の内容を変更する権利は当然幹部のものなのであった。これに気づくまで1年ほどはかかったので、それまではご苦労なことに孤独で無駄な戦いに神経をすり減らしていたことになる。
甚だ公務員の自覚に乏しいへなちょこ委嘱員を続けながら、勤務2年目には休学中のハカセ課程に形式上復学し、ロックンロールをキメて晴れてハカセとなった。ロックンロールの傍ら職探しもしていたが、ハカセ見込みではなかなかナイスフィーリング通知はもらえない。そこで委嘱員の任期の1年延長を申請し、許可された。サビの部分ではなかったが、委嘱員勤務中に実施した調査の結果をロックンロールに使わせてもらったため、ご恩返しも兼ねて当該部分を整理して政府機関の紀要に投稿しておいた。これで仁義も切ったので、後腐れなく職探しができる。そこで、委嘱員として3年目の年季が明けるタイミングで採用される大学の公募を待ち伏せ、出るや否やシェキナベイベーすべく満を持してハカセ(取得済)として公募戦線に躍り出たのである。
しかし、結果は「ますます通知」ばかり。そろそろ年季も明けてしまうので、恩師に新年度から母校の特別研究員(ほぼ無給)に採用してもらえるよう申請を出すとともに、当該政府機関の経験者採用試験にも応募した。最後まで取っておいたカードを続けざまに切ったのである。ところがこの後、何と自分のワザと相当近い分野の公募が某研究所から出た。しかもこの研究所は恩師の元職場である。恩師も立派な推薦状を書いてくれた。うまくいきそうな予感がビンビンしている。
結局、私がこの研究所に応募書類を出すことはなかった。実は、締切直前に政府機関の経験者採用試験の結果発表があり、ナイスフィーリング通知を受け取ったのである。しかも、先方の都合で2月1日採用とのこと。この日付は、研究所の最終試験日より前だった。つまり、研究所を受けるためには政府機関の内定を蹴らなければならないということであり、いかにうまくいきそうでも、通るかどうかわからない試験に賭けて任期無し採用を断わることはできなかった。こうして、私は国家公務員として政府機関にシェキナベイベーすることになったのである。

決裁をめぐる独り相撲は、今思えば馬鹿らしいが、当時の私にしてみれば研究者と公務員の間にある立場上の非常に大きな差異を受容するための重要な過渡期であったように思う。無意識ながら、私はそれほどまでに研究者としての立場を固持していたのである(その立場しか知らないのだから仕方ないが)。理系はチームワークも重要であろうが、連名論文はほとんどない人文科学系の研究者に最も求められる能力は、研究計画の立案から実施方法の検討、そして遂行と成果の公表までの一連の作業をたった一人で進めていき、諸理論を駆使しつつ独力で新たな学術分野を切り拓いて進んで行くパワーであろう。残念ながら、そのパワーは公務員には必要とされない。当然のことながら、公務員に対しては、大臣をはじめとする省庁幹部の指示を実行する業務の執行者としてのあり方がまず問われるのである。独立独歩から組織の歯車への転換である。
一般社会で、ハカセは頭が固いとか使いにくい等と言われる理由はおそらくここにある。ハカセを省庁や企業に採用するということは、一匹狼を捕まえて来て犬の集団と一緒にさせるようなものなのだから、違って当たり前である。しかし、プロパー犬ではなく狼だったからこそ生まれる発想や活かせる経験があるはずであり、経験者採用や中途採用の狙いはそこにあるはずである。受入側がハカセへの偏見をなくすとともに、ハカセの側もこれまでの意識を自覚的に変える必要があるだろう。更に言えば、雇用される側のハカセの方により多くの努力が求められているのである。
国家公務員行政職は、大いなる素人集団である。省内の異動は、スペシャリストではなくジェネラリストを育成しているように見える。私のように経済や法律の知識がなくても仕事はできてしまうのだから、公務員とはそういうものなのであろう。そのような中で、ある特定の分野に関して自分は専門家であると思えるかどうかは、その専門性が実際の業務に直接役立つかどうかはともかく、職場における自意識として大きな意味を持つのではないかと思う。ハカセとは言え、当該分野のことを全て知っているわけではない。ただ、自分がかつてイカしたロックンロールをキメてハカセ課程を修了したことを誇りに思う。それでいいのではないだろうか。
2014年7月21日月曜日
国家公務員行政職と博士号(続)
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また来いよ。じゃあな。