2014年10月24日金曜日

レビュー:原作:伊瀬勝良、作画:横田卓馬『オナマス』(WEBコミック、2006年)

『オナマス』は通称で、この作品の正式なタイトルは『オナニーマスター黒沢』である。すばらしいマンガなのに、タイトルのせいで人にはなかなか勧めにくいのが難点である。しかしタイトルが内容を表わしていないというわけでもないので、文句を言うわけにもいかない。マンガを読みながら泣いたのはいつ以来だろう。

小説の原作があるのは知らなかったので、まずは話の巧みさに驚いた。連載マンガではあり得ないような重厚な伏線と意表を衝く展開で、しかも結末部分がきれいに決まっていて、相当練られた筋だと思った。マンガとしても、画やデザインはもちろんコマ割りもきれいで嫌味がないため読みやすい。思春期の心の変わりようがこの作品のテーマのひとつでもあるので、癖がありすぎたり薄ぼんやりしたような画では、原作の良さは引き出せなかったのではないかと思う。
この作品は、基本的に黒沢の1人称の語りで進められることが大きな特徴である。これは、1人称の語りだけが活字体で印字されており、他のセリフ等に用いられている手書き文字とは厳格に区別されている点からもわかる。黒沢の心理描写と本人及び周囲のセリフによって物語が展開するため、読み進めるにつれて黒沢が同級生の北原の提案や滝川の言動に、ある意味勝手に振り回され、相手の心を読めずに混乱し、次第に悩みを深めていく姿を共有することになる。しかし、物語の中で黒沢の心理が事細かに開示されていくとはいえ、完全にはわからない場面もある。例えば、ある事件をきっかけに黒沢の心が「変化」していくことになるが、具体的に何がどう変化したかまでは明らかにされない。それが端的な形で明らかにされるのは、授業直後の教室で担任とクラス全員を前にして黒沢が信じられない発言をする、この作品のクライマックスとも言える場面である。心理描写の部分的な沈黙は、物語の変調の兆しとして、このクライマックスに至るまでの間の緊張感を高める効果を十分に果たしている。

他方、上記のクライマックス後に、例外的に黒沢の1人称の語りが大きく崩れる場面がある(第27回)。この回は黒沢抜きで長岡と滝川の会話が進み、しかも黒沢に対する接し方に悩む滝川の心理が開示されるのである。しかも、この滝川の思いは黒沢が知りたくて知りたくて、知ることができずに苦しんでいる理由そのものでもあり、その内容は黒沢にとっては救いともなるものである。滝川のために自らを最悪の状況を追い込んだ黒沢にとって、滝川との関係回復は最重要課題であるため、ここで滝川の黒沢に同情的な心理が開示されることによって、結末に向かうにあたりこの物語の落としどころが暗くはないということが静かに示されることにもなっている。

また、この滝川の心理の開示により、以下の枠組みもある程度わかりやすく示されることになる。
①変わりたいと考えるようになって変わろうと思う黒沢(変化中)
②変わろうとして変わったつもりだが変わりきっていないかもしれないと思う滝川(変化済)
③変わる必要性は理解しつつも変わることはできないと思う北原(未変化)

変化を中心として物語の軸を考えた場合、変化中の黒沢が既変化の滝川の影響を受けて変化を終えた後、未変化の北原の変化を後押しするという展開となる。黒沢の変化を大きく象徴するのは、変化後に目の下のクマが消える点と、第1回で黒沢にとって全く別世界の人間として登場した須川が、最終回では黒沢の最も近い存在となっている点であろう。半ば悪役として登場し、最初に黒沢の問題行動を誘発したはずの須川が、黒沢にとっては思いもかけない人間的な側面を徐々に見せ始めるという展開は(変化をテーマとした作品なのである意味当然かもしれないが)、ハリウッド映画によくある善悪二元論の単純で紋切り型の人物描写を快く裏切ってくれている。なお、物語中に全く変わらない人物として長岡がいるが、黒沢が自らの変化とともに長岡への評価を劇的に変えていくという形で、その存在は黒沢の変化を引き立てることにもなっている。
ところで、いじめの問題を扱っているという点は、間違いなくこの作品のもうひとつの大きな特徴である。大上段に構えるわけでも、かといって無理解なわけでもなく、クラスの中のひとつの日常風景として、いじめはこの物語の最初から最後までいわば自然体でリアルに存在している。北原へのいじめは、さしたる理由もなく継続し、誰かによって敢えて止められることもなく、結局北原が卒業式直前に不登校になるまで終わることはなかった。高校生となった須川が中学でのいじめを後悔している点と、北原が同窓会をきっかけに新たな一歩を踏み出そうとする最終回の展開が、物語としての救いとなっている。この2回目のクライマックスは、いじめを経験した当事者同士の濃密な会話によって用意されるところに説得力があり、超越的な第3者からの道徳的押し付けがましさを感じさせるような形でないところが小気味よい。

他人を信じられない、拒否されたくない、嫌われたくないという理由で籠もりがちな消極的で閉鎖的な空間から、ドアを開け放って外に出ることの難しさと、出た後の変化の大きさを教えてくれる興味深い作品である。最初に読んだ時は夢中で気づかなかったが、このレビューを書くために改めて読み直してみたら、732ページの大作だったがね。このようなマンガが無料で読めるとは本当にありがてえことです。


また来いよ。じゃあな。