『オナマス』は通称で、この作品の正式なタイトルは『オナニーマスター黒沢』である。すばらしいマンガなのに、タイトルのせいで人にはなかなか勧めにくいのが難点である。しかしタイトルが内容を表わしていないというわけでもないので、文句を言うわけにもいかない。マンガを読みながら泣いたのはいつ以来だろう。
小説の原作があるのは知らなかったので、まずは話の巧みさに驚いた。連載マンガではあり得ないような重厚な伏線と意表を衝く展開で、しかも結末部分がきれいに決まっていて、相当練られた筋だと思った。マンガとしても、画やデザインはもちろんコマ割りもきれいで嫌味がないため読みやすい。思春期の心の変わりようがこの作品のテーマのひとつでもあるので、癖がありすぎたり薄ぼんやりしたような画では、原作の良さは引き出せなかったのではないかと思う。
この作品は、基本的に黒沢の1人称の語りで進められることが大きな特徴である。これは、1人称の語りだけが活字体で印字されており、他のセリフ等に用いられている手書き文字とは厳格に区別されている点からもわかる。黒沢の心理描写と本人及び周囲のセリフによって物語が展開するため、読み進めるにつれて黒沢が同級生の北原の提案や滝川の言動に、ある意味勝手に振り回され、相手の心を読めずに混乱し、次第に悩みを深めていく姿を共有することになる。しかし、物語の中で黒沢の心理が事細かに開示されていくとはいえ、完全にはわからない場面もある。例えば、ある事件をきっかけに黒沢の心が「変化」していくことになるが、具体的に何がどう変化したかまでは明らかにされない。それが端的な形で明らかにされるのは、授業直後の教室で担任とクラス全員を前にして黒沢が信じられない発言をする、この作品のクライマックスとも言える場面である。心理描写の部分的な沈黙は、物語の変調の兆しとして、このクライマックスに至るまでの間の緊張感を高める効果を十分に果たしている。
他方、上記のクライマックス後に、例外的に黒沢の1人称の語りが大きく崩れる場面がある(第27回)。この回は黒沢抜きで長岡と滝川の会話が進み、しかも黒沢に対する接し方に悩む滝川の心理が開示されるのである。しかも、この滝川の思いは黒沢が知りたくて知りたくて、知ることができずに苦しんでいる理由そのものでもあり、その内容は黒沢にとっては救いともなるものである。滝川のために自らを最悪の状況を追い込んだ黒沢にとって、滝川との関係回復は最重要課題であるため、ここで滝川の黒沢に同情的な心理が開示されることによって、結末に向かうにあたりこの物語の落としどころが暗くはないということが静かに示されることにもなっている。
また、この滝川の心理の開示により、以下の枠組みもある程度わかりやすく示されることになる。
①変わりたいと考えるようになって変わろうと思う黒沢(変化中)
②変わろうとして変わったつもりだが変わりきっていないかもしれないと思う滝川(変化済)
③変わる必要性は理解しつつも変わることはできないと思う北原(未変化)
変化を中心として物語の軸を考えた場合、変化中の黒沢が既変化の滝川の影響を受けて変化を終えた後、未変化の北原の変化を後押しするという展開となる。黒沢の変化を大きく象徴するのは、変化後に目の下のクマが消える点と、第1回で黒沢にとって全く別世界の人間として登場した須川が、最終回では黒沢の最も近い存在となっている点であろう。半ば悪役として登場し、最初に黒沢の問題行動を誘発したはずの須川が、黒沢にとっては思いもかけない人間的な側面を徐々に見せ始めるという展開は(変化をテーマとした作品なのである意味当然かもしれないが)、ハリウッド映画によくある善悪二元論の単純で紋切り型の人物描写を快く裏切ってくれている。なお、物語中に全く変わらない人物として長岡がいるが、黒沢が自らの変化とともに長岡への評価を劇的に変えていくという形で、その存在は黒沢の変化を引き立てることにもなっている。
ところで、いじめの問題を扱っているという点は、間違いなくこの作品のもうひとつの大きな特徴である。大上段に構えるわけでも、かといって無理解なわけでもなく、クラスの中のひとつの日常風景として、いじめはこの物語の最初から最後までいわば自然体でリアルに存在している。北原へのいじめは、さしたる理由もなく継続し、誰かによって敢えて止められることもなく、結局北原が卒業式直前に不登校になるまで終わることはなかった。高校生となった須川が中学でのいじめを後悔している点と、北原が同窓会をきっかけに新たな一歩を踏み出そうとする最終回の展開が、物語としての救いとなっている。この2回目のクライマックスは、いじめを経験した当事者同士の濃密な会話によって用意されるところに説得力があり、超越的な第3者からの道徳的押し付けがましさを感じさせるような形でないところが小気味よい。
他人を信じられない、拒否されたくない、嫌われたくないという理由で籠もりがちな消極的で閉鎖的な空間から、ドアを開け放って外に出ることの難しさと、出た後の変化の大きさを教えてくれる興味深い作品である。最初に読んだ時は夢中で気づかなかったが、このレビューを書くために改めて読み直してみたら、732ページの大作だったがね。このようなマンガが無料で読めるとは本当にありがてえことです。
2014年10月24日金曜日
レビュー:原作:伊瀬勝良、作画:横田卓馬『オナマス』(WEBコミック、2006年)
2014年7月21日月曜日
国家公務員行政職と博士号(続)
委嘱職員の任期は2年間である。委嘱職員は前任後任の任期が重ならないため、引継ぎ事項も前任の残したメモが少しある程度で、上司からも後は前任の作成した書類を見てくれと言われて特に指導めいたことはなかった。学生上がりなので最初は決裁のシステムもわからず、どうして上司や先輩が自分で作った書類を新人で下っ端の私の所に最初に持って来て見せてくれるのだろうと不思議に思ったものである。決裁書には私の名前が書いてある欄があるので、隣の人にこれは何ですかと聞くと、名前の横にサインをして次に回せとのこと。いろんな書類が回ってくるのでどんどんサインして次に回していたら、だんだん慣れてサインが上手くなってきた。これはいいぞと思ってこっそり喜んでいると、中の文章もしっかり見てくれなくては困ると言われて驚いた。気づいた間違いは直さなくてはならないこと、決裁は下から上に行くので、まず私の所に来るということもわかった。最初の1か月はこんな感じだったから、全く戦力にはなっていなかったと思う。
しばらくすると、自分で決裁書を作成する機会も増えてきた。そこで私をいらいらさせたのが、またこの決裁というシステムである。私が推敲に推敲を重ねて書き上げた渾身の名文に、どこからともなくおかしな修正が入るのである。明らかな間違いの訂正なら有難いが、送り仮名や句読点等、個人の趣味の問題としか思えない変更や、修正に修正が重なって、整理して書き直してみると意味が通らない文章になっていたり、さらには書き加えた人の字が汚くて読めないということもよくあった。書いた人が幹部だと気軽に「これなんて字ですか」とも聞けないので、読めない場合は近くの同僚と判読会議を開催することになる。「君でも読めねーなら本人に聞きに行くべ」という人が増えて、いつの間にか私は執務室の判読大臣になっていた。
これまでは予備校や高校で生徒の作文や小論文を添削をする立場だったので、自分の文章に手が入るということはまずなかった。入るとすれば、投稿した論文の査読者が用語の使い方や章立てについてコメントをくれる場合であったが、直接原稿に手を入れるやり方ではなく、あくまで指摘であった。ところが、決裁では遠慮なく赤が入るので、私としては受け入れ難かったのである。このシステムに慣れるのは時間がかかったが、そのきっかけとなったのは決裁後に組織から発出される文書に記載されている責任者の名前に気づいたことだった。その名前は当然のことながら我が組織の長であり、長の不在時は丁寧に次席の名前に変更されていた(さらに丁寧なことに、長も次席も不在の時は三席の名前になっていた)。私は起案者であるが、文責者ではないということを思い知らされた瞬間である。当該文書に問題があれば、その責は起案者ではなく決裁権者が負うのであるから、文書の内容を変更する権利は当然幹部のものなのであった。これに気づくまで1年ほどはかかったので、それまではご苦労なことに孤独で無駄な戦いに神経をすり減らしていたことになる。
甚だ公務員の自覚に乏しいへなちょこ委嘱員を続けながら、勤務2年目には休学中のハカセ課程に形式上復学し、ロックンロールをキメて晴れてハカセとなった。ロックンロールの傍ら職探しもしていたが、ハカセ見込みではなかなかナイスフィーリング通知はもらえない。そこで委嘱員の任期の1年延長を申請し、許可された。サビの部分ではなかったが、委嘱員勤務中に実施した調査の結果をロックンロールに使わせてもらったため、ご恩返しも兼ねて当該部分を整理して政府機関の紀要に投稿しておいた。これで仁義も切ったので、後腐れなく職探しができる。そこで、委嘱員として3年目の年季が明けるタイミングで採用される大学の公募を待ち伏せ、出るや否やシェキナベイベーすべく満を持してハカセ(取得済)として公募戦線に躍り出たのである。
しかし、結果は「ますます通知」ばかり。そろそろ年季も明けてしまうので、恩師に新年度から母校の特別研究員(ほぼ無給)に採用してもらえるよう申請を出すとともに、当該政府機関の経験者採用試験にも応募した。最後まで取っておいたカードを続けざまに切ったのである。ところがこの後、何と自分のワザと相当近い分野の公募が某研究所から出た。しかもこの研究所は恩師の元職場である。恩師も立派な推薦状を書いてくれた。うまくいきそうな予感がビンビンしている。
結局、私がこの研究所に応募書類を出すことはなかった。実は、締切直前に政府機関の経験者採用試験の結果発表があり、ナイスフィーリング通知を受け取ったのである。しかも、先方の都合で2月1日採用とのこと。この日付は、研究所の最終試験日より前だった。つまり、研究所を受けるためには政府機関の内定を蹴らなければならないということであり、いかにうまくいきそうでも、通るかどうかわからない試験に賭けて任期無し採用を断わることはできなかった。こうして、私は国家公務員として政府機関にシェキナベイベーすることになったのである。

決裁をめぐる独り相撲は、今思えば馬鹿らしいが、当時の私にしてみれば研究者と公務員の間にある立場上の非常に大きな差異を受容するための重要な過渡期であったように思う。無意識ながら、私はそれほどまでに研究者としての立場を固持していたのである(その立場しか知らないのだから仕方ないが)。理系はチームワークも重要であろうが、連名論文はほとんどない人文科学系の研究者に最も求められる能力は、研究計画の立案から実施方法の検討、そして遂行と成果の公表までの一連の作業をたった一人で進めていき、諸理論を駆使しつつ独力で新たな学術分野を切り拓いて進んで行くパワーであろう。残念ながら、そのパワーは公務員には必要とされない。当然のことながら、公務員に対しては、大臣をはじめとする省庁幹部の指示を実行する業務の執行者としてのあり方がまず問われるのである。独立独歩から組織の歯車への転換である。
一般社会で、ハカセは頭が固いとか使いにくい等と言われる理由はおそらくここにある。ハカセを省庁や企業に採用するということは、一匹狼を捕まえて来て犬の集団と一緒にさせるようなものなのだから、違って当たり前である。しかし、プロパー犬ではなく狼だったからこそ生まれる発想や活かせる経験があるはずであり、経験者採用や中途採用の狙いはそこにあるはずである。受入側がハカセへの偏見をなくすとともに、ハカセの側もこれまでの意識を自覚的に変える必要があるだろう。更に言えば、雇用される側のハカセの方により多くの努力が求められているのである。
国家公務員行政職は、大いなる素人集団である。省内の異動は、スペシャリストではなくジェネラリストを育成しているように見える。私のように経済や法律の知識がなくても仕事はできてしまうのだから、公務員とはそういうものなのであろう。そのような中で、ある特定の分野に関して自分は専門家であると思えるかどうかは、その専門性が実際の業務に直接役立つかどうかはともかく、職場における自意識として大きな意味を持つのではないかと思う。ハカセとは言え、当該分野のことを全て知っているわけではない。ただ、自分がかつてイカしたロックンロールをキメてハカセ課程を修了したことを誇りに思う。それでいいのではないだろうか。
2014年2月3日月曜日
国家公務員行政職と博士号
イカしたロックンロールをキメて口頭試問のセンセたちをブッとばし、ようやくハカセ課程修了が決まった時ほどうれしかったことはない。学位記をカラーコピーして机の引き出しに忍ばせておき、時々取り出して眺めてみてはニヤニヤしていたものである。しかし、ハカセになったと言っても、次の日の朝から黒塗りの高級車が礼儀正しい初老の運転手付で迎えに来るわけでも、街中で見知らぬ人が大勢寄ってきてサインを求められるわけでもない。強いて言えば、三十過ぎのいい年こいた大きなおともだちが、学籍を喪失して社会に放り出されたというだけのことである。新米ハカセの多くは、夢のような至福の初七日を過ごした後、映画館での学生料金、新幹線の学割、奨学金の返済猶予等、これまで長年当然のように享受してきた数々の特権を一夜にして全て失なうという、その信じ難い厳然とした事実の前に為す術もなく立ち尽くすのみとなるのである。
ハカセとなった以上、やはり誰でもまずは大学や研究所等での研究職(アカポス)を目指すと思われる。早速私も取り立てほやほやのハカセ号を紅白に染め抜いた旗印を押し立て、「研究者人材データベース」(JREC-IN)掲載の挑戦状一覧をチェックしつつ、新参の大学教員公募戦士として岩をも砕かんばかりの大音量で名乗りを上げた。しかしどうやらお昼休みのタイミングだったのがよくなかったのか、その後手元に届くのはいわゆる「ますます通知」というやつで、「今後の貴殿のますますのご活躍をお祈りします」と少しだけ持ち上げておいて当方との一騎打ちは断わってくるという、情けないめそめそした野郎からの書簡ばかりだったのである。昨今は高学歴ワーキングプアやいわゆる野良ハカセの多さ、大学における非常勤講師の酷使等が社会問題と認知されつつあるように、ハカセ課程でロックンロールをキメてすぐにアカポスをゲットすることはなかなか難しい。理系の方がハカセの割合が多いので話題になりやすいが、文系も全く同じである。しかも文系、特に人文科学系は、標準修業年限の3年間でロックンロールをキメるのは(分野にもよるが)至難の業であり、キメた時には既に三十路入りしている場合が多いため、就職問題はより深刻なのである。今はやや緩和されたようだが、当時の日本学術振興会特別研究員(学振)PDの年齢制限には怒り(というより焦り)を覚えたものである。
兄弟子や同期たちも、非常勤講師や特任研究員といった任期付や無給のポストで何年もがんばっている人が多い。その中には、初めこそ田舎の高専や短大に専任講師としてお世話になったが、実績を増やして数年後に国立大准教授に昇進転出シェキナベイベーした兄弟子がいた。私と近い流派で、ナウいロックンロールをキメた後そのまま旧帝大にシェキナベイベーした同期生もいる。それらの事例を励みにしつつも、公募戦線の中で多くの「ますます通知」を受け取れば、自分が本当にアカポスに向いているのかと疑心暗鬼になってくる。他方で、一門総稽古などで自分のワザが評価されたような時は強いやり甲斐を感じ、自信を深める場面もある。そのように様々な振幅のある中で自分のワザが洗練されてはいくが、同時に年齢も否応なく上がっていく。結婚や出産を経験するかもしれない。しかしこの戦線には、既に人生が懸かっているのである。自己嫌悪になろうが傷つき倒れようが、再度起き上がり軟膏でも塗って前に進むしかない。ワザを磨き手持ちの巻物を増やし、業績を残していくことしか選択肢はないのである。これは将棋の三段リーグや大相撲の幕下上位と同じで、客観的に見れば狭き門のプロテストに候補者がひしめき合って鎬を削っているという構図であろう。私もこの公募戦線に残り、いつの日かまだ見ぬグレイトな大学に必ずシェキナベイベーすることを夢見て走り続けようと考えていた。

今思えば転機は、サビがやっとのことで投稿論文として学会誌に掲載され、イカしたロックンロールになりそうだとビンビン感じた年だったかもしれない。この時近々ロックンロールをキメる見込みとして学振PDに魂のラブレターを送りつけるも、あえなくハートブレイク。見込みでは気持ちが通じないなんて冷めたハートもあったもんだ。そこでとりあえずエサを食い繋ぐために就職情報を幅広く見るようにしていたところ、政府機関で自分のワザに近い分野での調査を行なう任期付委嘱職員の募集を見つけた。道場の兄弟子にもこの委嘱職員経験者が何人かいたことから、とりあえず応募はすることにした。まあいろいろあるけど宮仕えとはいえ待遇はなかなかよくエサがうまいと聞いていたことも、日々の食事に事欠く貧乏侍の背中を押したと思う。「ますます通知」かと思ったら、この時は意外にするするとナイスフィーリング通知を受け取った。しかし兼業は不可であるとされていため、恩師の紹介で得ていた近隣大学の非常勤講師ポストとグッバイするのがさすがにためらわれて、即答はできなかった。しかし背に腹は代えられない。うまいエサも食いたい。迷った末に道場の親方とも相談して恩師に仁義を切り、この話を受けることにした。非常勤講師の後釜探しも手伝い、私よりも戦闘経験豊富な豪傑が見つかった。
この委嘱職員の仕事が、私にとって初めての実務経験となった。社会人経験と言ってもいいかもしれない。これまでの職歴は高校や大学の非常勤講師のみで、はっきり言えば職場ではお客さま扱いをされていただけである。委嘱職員は専任ではないので実はお客さま扱いであることに変わりはないのだが、常勤であるから組織の業務に関わる深さは非常勤とは比べ物にならない。アカポスではないが、敵に不足なし。見よハカセ(見込み)ここにありと叫びつつ、新天地で入魂のフィーバーをキメるべく着任した私を待っていたのは、何とも平和な組織の日常業務であった。君のワザを使った資料作成もやってつかあさいと言われたが、どうやら日常業務の方が圧倒的に多いっぽい。兄弟子の言っていた「まあいろいろある」とはこのことかと合点がいった。
(続く)
2014年1月30日木曜日
レビュー:池澤夏樹『静かな大地』(2003 朝日新聞社)
久々の更新ついでに、 ずいぶん前に別のところで書いた本のレビューをここにも転載。あからさまな投稿数の水増しでござる。

ノンフィクションを基盤としたフィクションというのはこれまで興味の範囲外にあったけんども、友人に勧められて読み始めたら面白くって、1日で最後まで読んでまったがね。
日本もずいぶんひどいことをしてきたということだっちゃ。歴史はどうしても自らの視点からしか見れないので、自ら求めないと他者の視点は得られねーよわ。でも結局アイヌ語がわからないと、日本語で、しかも日本側からのアイヌ像を、人づての話や記録という形でかろうじて覗き見るしかねーというこってすな。そのような意味で、アイヌ→三郎→志郎→由良(→長吉)という何重もの伝言ゲームと時差を経て語られるアイヌ像の受容は、妙に現実的ざんす。
また、由良の調査におけるそもそもの興味関心は父志郎から語られた「三郎おじさん」という日本人の生き様にあり、決してアイヌを語ってはいないという点も共感を持てるべ。語れるはずのないアイヌについて語り、他者であるはずのアイヌを自らと同等な他者として措定しなかったのが、これまでの日本の振る舞いではねがったかや。
結末部分で、由良がこの「三郎伝」をアイヌ語にしてアイヌの人に読んでもらいたいと述べる場面があるべさ。前述のようにアイヌは徹底して他者として扱われ、アイヌ側に踏み込まない(踏み込めない)語りの姿勢が貫かれているものの、他者ではあるけんども突き放しあきらめるのではなく、可能な限りアイヌ側に近接し相互理解に努めようとする由良の振る舞いに物語としての救いを感じたがね。
しかし、「三郎=3」「志郎=4」に対し、オシアンクルがひとつ後ろの「五郎=5」であることに象徴される当時の現実、そして今アイヌ語のネイティヴがいなくなっているという厳然としたリアルな現実に対しては、「三郎伝」は日本側の勝手なエクスキューズなんだべな。
読書感想文を憂う(続き)
なんと5年半振りの更新。不定期とはいえ、これはないわぁ。6年越しで続きを期待している人もまあいないとは思うけど、前回大威張りで「以下次号」と書いたからには続きを書かないと気持ちが悪いね・・・。で、何を書くつもりだったっけ?
改めて前回分を読み直してみると、言っていることは、国語科の目的は道徳ではないということと、国語科は技能教科である(はず)ということの2点。つまり、読書感想文に話を戻すと、読書感想文は「作文」技能を磨く貴重な機会のはずなのに、道徳に回収されてそれがまともに機能していないという文章だった(んじゃないかと思われる)のである。

しかし、書きたいことがありすぎて、長文になりそう。むむむ。
時間のある時にもう少しまとめられるといいけど、主張の要旨は概要以下のとおり。
・インプット作業である読解偏重の国語(さらには英語)教育の中で、自らの見解を読み手に伝えるアウトプット作業である(作文教育の一環としての)感想文の果たせる潜在的な役割は大きいはずだが、現状は教師側の指導のない中で生徒側が「正解」を求めるあまり、生きる上の心構えに無理やり結びつける浪花節のような結論であることばかりが重視される読書「感動」文が多くなっている。しかし、作文教育としては、結論部分ではなく、そこに至る道筋とその論理的・合理的な説明のありようにこそ焦点が当たるべきである。
・教育の現場において感想文と小論文が混同されており、教師側でも生徒側でもそれぞれ偏った理解に基づく不毛な努力が続けられている。読書感想文の指導は、小論文の指導の前段階としてきちんとカリキュラム上で位置づけ直されるべきである。なお、作文指導においては、原稿用紙の使い方や段落形成といった形式的なものの他、技術指導として論理展開に関わる添削によるきめ細かな指導が必要。
【感想文】
感想文は自らの感想を述べるものであるが、指導のポイントは感想そのものではなく(感想は個人的かつ主観的なものでしかあり得ず、感想の内容自体を指導の対象とすることはそもそも不可能であるため)、「読書体験からその感想に至る論理的な道筋がしっかりしているかどうか」という論理構造の方である(多くの場合、この点がしっかり理解されていない)。なお、感想は強度に個人的なものであるが故に、その感想に至った根拠は、自らの体験を中心とした個人的なものとなる場合が多い。
【小論文】
小論文も与えられたテーマについて自らの見解を述べるものであるが、設定されるテーマは時事問題を中心とした社会的なものであることが多いため、その見解には主観とともに常識的な妥当性が強く要請される点が感想文との大きな違いである。また、その見解自体の是非も厳しく問われる他、その見解に至った根拠の合理的な説明も必須とされる。そのためには当該テーマに関する基礎的な知識が必要であり、自らの主張を裏付ける各種事例への言及とそれに伴う論理的な文章展開が必要となることも多い。
・内容に社会性を必要とする小論文は、自分を語る感想文と比較すれば、明らかに上級者向けである。小学校では小論文の指導は無理であり、高校から導入することが望ましいと思われる。しかし、小中学校でたいした作文指導を受けていないため、多くの場合、大学入試の小論文対策として高校の後半であわてて準備することになったり、社会人としてのレポート作成時等に大きな苦労を強いられたりすることになる。文章作成能力は当然公教育で培われるべきであるのに、不当に無視されている現状は国家としての人材育成上も大きな問題である。早急な対策・改善が望まれる。
また来いよ。じゃあな。