2014年1月30日木曜日

読書感想文を憂う(続き)

なんと5年半振りの更新。不定期とはいえ、これはないわぁ。6年越しで続きを期待している人もまあいないとは思うけど、前回大威張りで「以下次号」と書いたからには続きを書かないと気持ちが悪いね・・・。で、何を書くつもりだったっけ?

改めて前回分を読み直してみると、言っていることは、国語科の目的は道徳ではないということと、国語科は技能教科である(はず)ということの2点。つまり、読書感想文に話を戻すと、読書感想文は「作文」技能を磨く貴重な機会のはずなのに、道徳に回収されてそれがまともに機能していないという文章だった(んじゃないかと思われる)のである。

しかし、書きたいことがありすぎて、長文になりそう。むむむ。
時間のある時にもう少しまとめられるといいけど、主張の要旨は概要以下のとおり。

・インプット作業である読解偏重の国語(さらには英語)教育の中で、自らの見解を読み手に伝えるアウトプット作業である(作文教育の一環としての)感想文の果たせる潜在的な役割は大きいはずだが、現状は教師側の指導のない中で生徒側が「正解」を求めるあまり、生きる上の心構えに無理やり結びつける浪花節のような結論であることばかりが重視される読書「感動」文が多くなっている。しかし、作文教育としては、結論部分ではなく、そこに至る道筋とその論理的・合理的な説明のありようにこそ焦点が当たるべきである。

・教育の現場において感想文と小論文が混同されており、教師側でも生徒側でもそれぞれ偏った理解に基づく不毛な努力が続けられている。読書感想文の指導は、小論文の指導の前段階としてきちんとカリキュラム上で位置づけ直されるべきである。なお、作文指導においては、原稿用紙の使い方や段落形成といった形式的なものの他、技術指導として論理展開に関わる添削によるきめ細かな指導が必要。

【感想文】
感想文は自らの感想を述べるものであるが、指導のポイントは感想そのものではなく(感想は個人的かつ主観的なものでしかあり得ず、感想の内容自体を指導の対象とすることはそもそも不可能であるため)、「読書体験からその感想に至る論理的な道筋がしっかりしているかどうか」という論理構造の方である(多くの場合、この点がしっかり理解されていない)。なお、感想は強度に個人的なものであるが故に、その感想に至った根拠は、自らの体験を中心とした個人的なものとなる場合が多い。

【小論文】
小論文も与えられたテーマについて自らの見解を述べるものであるが、設定されるテーマは時事問題を中心とした社会的なものであることが多いため、その見解には主観とともに常識的な妥当性が強く要請される点が感想文との大きな違いである。また、その見解自体の是非も厳しく問われる他、その見解に至った根拠の合理的な説明も必須とされる。そのためには当該テーマに関する基礎的な知識が必要であり、自らの主張を裏付ける各種事例への言及とそれに伴う論理的な文章展開が必要となることも多い。

・内容に社会性を必要とする小論文は、自分を語る感想文と比較すれば、明らかに上級者向けである。小学校では小論文の指導は無理であり、高校から導入することが望ましいと思われる。しかし、小中学校でたいした作文指導を受けていないため、多くの場合、大学入試の小論文対策として高校の後半であわてて準備することになったり、社会人としてのレポート作成時等に大きな苦労を強いられたりすることになる。文章作成能力は当然公教育で培われるべきであるのに、不当に無視されている現状は国家としての人材育成上も大きな問題である。早急な対策・改善が望まれる。

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また来いよ。じゃあな。