久々の更新ついでに、 ずいぶん前に別のところで書いた本のレビューをここにも転載。あからさまな投稿数の水増しでござる。

ノンフィクションを基盤としたフィクションというのはこれまで興味の範囲外にあったけんども、友人に勧められて読み始めたら面白くって、1日で最後まで読んでまったがね。
日本もずいぶんひどいことをしてきたということだっちゃ。歴史はどうしても自らの視点からしか見れないので、自ら求めないと他者の視点は得られねーよわ。でも結局アイヌ語がわからないと、日本語で、しかも日本側からのアイヌ像を、人づての話や記録という形でかろうじて覗き見るしかねーというこってすな。そのような意味で、アイヌ→三郎→志郎→由良(→長吉)という何重もの伝言ゲームと時差を経て語られるアイヌ像の受容は、妙に現実的ざんす。
また、由良の調査におけるそもそもの興味関心は父志郎から語られた「三郎おじさん」という日本人の生き様にあり、決してアイヌを語ってはいないという点も共感を持てるべ。語れるはずのないアイヌについて語り、他者であるはずのアイヌを自らと同等な他者として措定しなかったのが、これまでの日本の振る舞いではねがったかや。
結末部分で、由良がこの「三郎伝」をアイヌ語にしてアイヌの人に読んでもらいたいと述べる場面があるべさ。前述のようにアイヌは徹底して他者として扱われ、アイヌ側に踏み込まない(踏み込めない)語りの姿勢が貫かれているものの、他者ではあるけんども突き放しあきらめるのではなく、可能な限りアイヌ側に近接し相互理解に努めようとする由良の振る舞いに物語としての救いを感じたがね。
しかし、「三郎=3」「志郎=4」に対し、オシアンクルがひとつ後ろの「五郎=5」であることに象徴される当時の現実、そして今アイヌ語のネイティヴがいなくなっているという厳然としたリアルな現実に対しては、「三郎伝」は日本側の勝手なエクスキューズなんだべな。
2014年1月30日木曜日
レビュー:池澤夏樹『静かな大地』(2003 朝日新聞社)
投稿者
よじく
時刻:
4:48
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また来いよ。じゃあな。
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