数年前まで、裸で人前に放り出されたり、着替えがなくてうろうろ探し回る夢をよく見ていた。定職もなくふらふらしていたから、潜在的に自分を恥ずかしく思っていたことが原因かもしれないと思い、おそらく就職できたらこういった夢を見なくなるだろうと何となく考えていた。その後、中途採用に何とか引っ掛かり、どうにか定職に就いたら確かに見なくなった。夢には、普段の思いや悩みが反映されるものなのだろう。
就職後に裸の夢は見なくなったが、その代わりなのか、これまで時折思い出してはいたがあまり深く考えないようにしていたことが、改めて気になるようになってきた。就職して心配事がひとつ減り、悩みを置く心のスペースに余裕ができたからかもしれない。または子どもが生まれ、その成長していく姿を想像するようになったからかもしれない。
気になるのは、もう約30年も前のことになるが、私の小学校のクラスメートのことである。その女の子とクラスが一緒だったのは、小学校の5年生と6年生の時だったと思う。(中学は別だったので、小学校卒業以来会ったことはない)。また低学年の時にその子を見た覚えはないから、おそらく転校生だったはずである。その子はちょっと冴えない感じがして、だいたいいつも似たような服を着ていた。目立たない大人しい子で、クラスで大声を上げて騒ぎ回っているような姿は見たことがなかった。
私は、なぜかその子が気に入らなかった。話をする気には全くなれなかったし、気持ちが悪いとさえ思い、周囲の人に口に出してそう言うこともためらわなかった。なぜなら、その時は(随分と勝手な話だが)本当に気持ちが悪いと思い込んでいたからである。大人であればそんなことを言うのは気が引けるはずだが、そこは小学生。幼いだけあって遠慮も何もなかった。私はその子のことは基本的に無視し、その子が近づくと汚い汚いと大げさに嫌がったりした。物理的な暴力こそなかったが、その子に嫌がらせをすることで、端的に言えば私はその子をいじめていたのである。私は体が大きかったので、小学生の時は1年生からクラスで威張っていたし、威張って当然のような気もしていた。外弁慶で家では大人しくしていたので親から怒られた記憶はあまりないが、担任の先生にとっては扱いにくかっただろうと思う。
こんな私が、最近たまたま目にして読んでみて、飛び上がるほどびっくりした記事がある。2012年の朝日新聞の連載「いじめている君へ」の最終回である。
http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201208160557.html
この記事の執筆者である小学生6年生のタレントのことを当時の私は全然知らなかったし、実は今も知らない。ただし、少なくともこの記事の主張がいじめ問題の核心を突いているということは直感でわかった。いじめる側はいじめを何とも思っておらずたいした罪悪感もないという指摘は、自分の経験に照らしても正しいと思う。そしていじめられている人が身近な人たちにその誕生を祝福され、様々に愛されて育ってきたのだということを、いじめる側が想像できる力を持たなければいじめは止まらないという指摘も、全くそのとおりではないかと思う。これを読んで同連載の前の記事も読んでみたが、他のものは上から目線の説教臭い道徳の教科書みたいなものばかりで詰まらなかった。
しかし、私がこの記事を読んで驚いたのは、記事の鋭い指摘が身につまされたからだけではない。私がいじめていた女の子が、児童養護施設の子だったことをふと思い出した時のショックが大きかったからである。その子が大人しかったのも、いつも同じような服を着ていたのも、ある意味当然のことであった。私の小学校の校区には児童養護施設があり、学年に3~4人は施設から通っている子がいた。児童養護施設とは、「保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせてその自立を支援することを目的とする施設」(児童福祉法第41条)であることからすると、その子は親がいないか、虐待等何らかの理由で親と一緒に生活ができなくなった子だったのである。そうすると、その子はもしかすると肉親から誕生を祝福されなかったり、愛されて育っていなかったりしたかもしれないのである。
そのため、記事の言うような、想像力を駆使することで(自分も相手も含め)誰もが誰かに強く愛されて育ってきたことに思いを馳せて、自分の勝手な考えで他人を簡単に軽蔑したり人格否定したりすることを戒めるべきだという主張に私は納得したものの、「愛されて育ってきたとは必ずしも言えない人もいる」という、もうひとつ別の次元の事実があることをどうしても考えざるを得なかった。私は、いじめっ子だった自分を反省するため、いじめられていた子の乳幼児の幸せな時期を想像してみたところ、その子にはそのような時期がなかった可能性に思い至り、自分の罪深さを知ってたじろいだのである。私にいじめられていた子は、一体どんな少女時代を過ごしたのだろうか。せめてもの救いなのは、当時その子をいじめていたのは私だけで、それをいけないことだと言って私を非難するクラスメートもいたことである(私はそんな批判は意にも介さなかったが)。
その子の名前は、「千賀子」ちゃんだった。両親が付けてくれた名前なのかもしれないが、児童福祉施設が身寄りのない乳児に付けた名前という可能性もある。千賀子ちゃんがどのような経緯で養護施設にお世話になることになったのかは知る由もないが、この名前は子どもの幸せを祈って付けられたものであることは確かだろう。養護施設の子が皆不幸せだなどと言うつもりはないが、千賀子ちゃんの名前に愛情が溢れていることに改めて気づかされ、この名前は養護施設で生活を送る中で千賀子ちゃん自身の支えになっていたのではないかなどと勝手に考えてみたりした。
悲しいくらい想像力を持たずに千賀子ちゃんを対象にしたいじめゲームに興じていた私が、今からできることが何かあるだろうか。謝罪ができればしたいが、小学校以降の進路どころか住所すらもわからない千賀子ちゃんに今後直接会うことはほぼ不可能であろうし、そもそも先方が私を覚えているかどうかすら心許ない。仮に覚えていたとしても、昔のいじめっ子なんぞに今更会いたくはないはずである。おそらく私がすべきことは、自分のしたことを恥じ入り忘れずにいること、そしてまずは自分の子どもが私と同じ過ちを繰り返さないように、親としてできることをしていくことなのではないかと思っている。
2015年5月17日日曜日
憎まれっ子世にはばかれず
投稿者
よじく
時刻:
3:40
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また来いよ。じゃあな。
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