2007年9月2日日曜日

ミヨリの森はなぜつまらないか

アニメ『ミヨリの森』を見た。一言で言うとびっくり。話としては、都会からきた転校生の女の子が森の守り神に選ばれ、森の精霊たちとともにダム建設を推進しようとする開発業者を退治するというもの。

しかし、どうしてあそこまであからさまに道徳的なのか。勧善懲悪かつ予定調和であるということは、逆に言えば薄っぺらでつまらないということだ。同様に自然がテーマとなっているアニメの『となりのトトロ』や『もののけ姫』と比べるべくもない。トトロがいかにすばらしいかがよくわかった。やはり宮崎はすごい。

都会から来た転校生が田舎の自然環境の価値や保護に目覚めるという構図は、例えば去年やっていたドラマ『瑠璃の島』などでもおなじみだ。このドラマは、両親の離婚問題から沖縄の島の祖父母のもとで過ごすことになった生意気な小学生の女の子が、島の大自然の中で友達や住人と過ごしていくうちに少しずつ人間的な成長を遂げていくというものである。田舎の人間関係や自然の価値を知らない都会の子(つまり私たち=現代人)が、純朴な田舎の人たちや貴重な自然という環境のもとで忘れていたものを獲得するという筋立ては、環境保護がほとんど流行語的に叫ばれている現代において、かなりありきたりで陳腐なプロットでしかない。

余談だが、『ミヨリの森』と『瑠璃の島』はかなり類似していると言わざるを得ない。主人公はどちらも小学生の女の子であり、現代風のすれた感じの性格である。両親の関係が悪くなり、田舎の祖父母に預けられる部分も同じ。その母親は娘に似てわがままで頼りなく、しばしば田舎に顔を見せて娘を都会に呼び戻そうとするが成長した娘に諭され、拒否される。ここでの母親はかつて都会で生活していた女の子の鏡像である。女の子が自己の成長を自覚するためには、母親が呼び戻しに来る仕掛け(=過去の自分との対面)がどうしても必要なのである。

『ミヨリの森』を『となりのトトロ』(や『瑠璃の島』)と比較する際にどうしても考えなければならないのは、性別の果たす役割である。基本的にどれも主人公は女性であり、他のキーパーソンも女性であることに注意を払うべきだろう。男性の影はきわめて薄い。ミヨリでは一本桜の精が女性であったように、大自然は女性で表象されている。つまり自然は温かく人間を迎え入れる母性として描かれているのである。一方ふわふわで優しい感じのトトロも自然の表象である。その性別は不明であるが、顔つきやしぐさなどからして男性性を濃厚に保持していると言えるだろう。

この差が、両作品の自然観の差となって現われている。ミヨリの自然は雷で裂けた一本桜に象徴されるように、不完全なもの、または弱き者(ダム計画を前になす術がない)として描かれ、それを回復するのが主人公のミヨリである。それに対し、トトロの自然は不可知で怖いもの(マックロクロスケ・夜中の大風)、圧倒的で近寄りがたいもの(ご神木)、死と近いもの(メイの溺死疑惑)として描かれる。母をお見舞いに行った不在の父に代わってメイの捜索を手伝うトトロは、ミヨリの自然とは逆に人間に手を差し伸べ父性を回復する役割を果たしている。自然は「父の審級」にあり、サツキとメイはその自然の男性性を快く受け入れるのである。

結局、ミヨリが物足りないのは、そもそも自然を保護すべき弱いものとしか表象していないその描写の矮小性にあると言えるだろう。自然に対して人間が主導的な立場に立っていると言い換えることもできる。さらに、本来見えないはずの精霊たちが姿を現わし、業者たちを退治するというそのわかりやすさ(=単純さ)にも原因がありそうだ。

自然としてのマックロクロスケやトトロは子どもの前でしかその姿を現わさず、最後まで大人たちの世界とは断絶していた。しかもその子どもとトトロとの邂逅も実は夢か現かわからないというように、自然は不可知であり決して操縦可能ではないことが慎重に示されてもいた。太鼓や投げ縄で実際に精霊たちを呼び出し、直接指示を与え得るミヨリの世界とは対照的である。つまり、トトロにおける対立軸は子ども/大人であって、硬軟併せ持つ自然の懐の深さを子どもの目を通して描き出していたが、ミヨリにおいては対立軸は飽くまでも自然/都会なのである。そのため、自然の描写が直接的で、都会とのわかりやすい対立軸としてきわめて単純化・陳腐化されてしまっている。自然に対する畏怖の念や圧倒的な存在感は、最後まで描かれることがない。

さらに言えば、都会の側から資本による開発を糾弾するだけでは何も解決しない。長野県の脱「脱ダム宣言」に明らかなように、ダム建設は治水事業であり、都会の生活を洪水や渇水から守るという大義名分があるからだ。仮にミヨリがダム建設を断念させ自分の森を守ったとしても、その結果都市生活に支障を来たすとするとどうなるのか。そのリスクを都市住民がどのように受け取り、どのように消化していかなくてはならないのか。他の森がダム湖に沈むことになってもよいのか。すぐに想起されるこのような疑問に全く答えないまま、ただただ開発はだめだ森を守れと言ってもそれは片手落ちであろう。このような底の浅さがこのアニメをきわめてつまらなくしてしまっている。私が気に入ったのはボクリコのかわいい声だけであった。

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また来いよ。じゃあな。